インドさんの甘口ポエムブログ

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岡山の天然うなぎ、青江うなぎについて

この記事は「大都会岡山 Advent Calendar 2016」の22日目の記事です。22日目なのに23日に公開してすみません。

岡山ラーメンについて書こうと思ったけど、書こうと思うと「あれも書きたい、これも書きたい」となってしまってとても一記事では伝えたい事が収まりきらなさそうなので、それはまた今度にします。

なので、お詫びの「笠岡ラーメン」写真。かしわ肉を使っているのが特徴。岡山県のラーメンだけどNOT岡山ラーメン。 岡山(市)のラーメンはもっとスープが濁ってるけど、笠岡ラーメンは透き通った醤油スープ。みんなちがってみんないい。

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なにについて書くかというと、「青江うなぎ」について書きましょうかね。前年に引き続いて食べ物系のネタです。

青江うなぎとは

f:id:kitaindia00:20161223110106j:plain 青江公会堂の看板

岡山市の青江で取れるうなぎのことで、普通のうなぎと違って背中が深緑色をしていて味もすごく美味しいらしいです(食べたことがない)明治時代の品評会では日本一になったこともあった最高級のうなぎだそうです。 しかし、今では穫れる量も限られており、まさに幻のうなぎだそうです。

実は私の実家が岡山の青江にあり、お爺ちゃんは昔岡山で漁師をしていたそうです。
父親がよく子供の頃に「昔はこの辺では海が近くてな、川でうなぎがよく獲れたりしとったんじゃ。手づかみでうなぎをよーとっとったらしいんじゃ」と話してくれてて、それを聞いた僕は、子供ながらに「ウッソで〜!」っと思ってました。

f:id:kitaindia00:20161223112712j:plain 青江の現在の川(というよりドブ) 子供の頃は「ここでウナギがとれてたなんて信じられない」と思ってた。 今では夏休みに子供たちが網などでドブさらいをして遊んだりするぐらいしか使われてない・・・。

f:id:kitaindia00:20161223112859j:plain 青江の大きい道路。海なぞない。

ところで青江ってどこ?

岡山駅から4km程度南に行った所にあります。

そして、こちらが明治22年の頃の岡山の地図です。 f:id:kitaindia00:20161223115426j:plain 1:50,000 chikeizu | Stanford Digital Repository 赤丸が青江、下にある川は笹ヶ瀬川

今より笹ヶ瀬川が大きく、青江もすぐ南にいけば川だったことがわかります。 青江のすぐ南の泉田は江戸時代に干拓された場所なのでもっと昔はさらに近かったんだと思います。

このころは児島湖となっていた場所も昔は児島湾で、児島も今のように陸続きではなく本当に「島」でした。

児島湾の干拓

岡山市は江戸時代の頃から、児島湾の干潟を埋め立てて田んぼをつくったりする干拓事業が行われていました。

江戸時代の頃は津田永忠、明治に入ってからは藤田伝三郎が干拓を推進しました。岡山市南区にある藤田という地名も藤田伝三郎から付けられたのは岡山市民なら誰でもしっているコモンセンス(常識)ですね。

干拓され陸となった土地では主に田んぼが作られました。しかし海だった所を埋め立てて作った土地。田んぼの塩害や水不足に悩まされ大変な苦労をしたそうです。

やっぱり旨い魚くいたいんじゃ

さて、平成の岡山、田んぼの需要が少なくなり、昔干拓された場所も農地転用されて、シネマタウン岡南なんぞというハイカラなものもできてきました。 ”大都会岡山”の名に負けない、発展した岡山がそこにあります。しかし、大都会の犠牲になった自然や漁師さんたちもいたんだと思います。

合同勉強会の際に岡山に帰ってきて、父親から「干拓のせいで、魚があんま穫れんようになった、干拓は失敗じゃったと思う、ってお爺ちゃんもよう嘆いとった」と聞いた際は、ちょっと寂しい気持ちになりました。

次はkunenishiさんです。岡山の今昔話、すごく気になります。

参考サイト

岡山の青江ウナギについて知りたい。 | レファレンス協同データベース

青江うなぎ発祥の地 - 紀行歴史遊学

わが町の歴史 はじめに